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ともしどコンテンツ

恥を忍んで、恋も忍ぶ。

ペットボトルの水を飲んで「最高に美味しいです!」って感動されたら一生忘れられない

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「新人の方には、ペットボトルで水を飲む方法を1から教えるように、指導してください。」

 

 

これ、会社員の頃に役職者研修みたいなやつでアナウンスされたやつですけど、どういう意味だと思いますか? 「新人の方は(本当は呼び方ちがうけど)従業員の方なら誰でも知っているようなことも知らないという前提で、丁寧にやり方を教えてあげてください」って意味らしいです。

 

幸いなことに、その会社に働きに来る人は圧倒的に素直な人が多くて、丁寧に教えていると「はい!はい!」と熱心な目をして聞いてくれる人ばかり。素直な人と接していると嬉しくなりますよね。なんていうか、可愛い。

 

 

まあそんなこんなで、丁寧に指導しましょう月間みたいな時期を過ごしていたところ、ちょっとした疑問というか、「もっとこうしたらいいじゃん」みたいな発想がわいてきて。

 

簡単に言うと、「このペットボトルの水をこうして飲んだほうが美味しく飲めるよ!」みたいな接し方ができないだろうかと思ったんですね。

 

素直な子ばかりだから、「いや、ボクはそういうのいらないです」みたいに突っぱねられちゃうこともなさそうだし、せっかく素直なんだったら素直だからこそ得られるものがひとつでも多くあったほうがいいじゃない? と思って。

 

 

そんなわけで始めたのが、「仕事中にいちばん嬉しいと感じるのはどんなとき? もっと嬉しいと思うために何やりたい?」と聞いてみること。最初は遠慮して、サービス業の模範解答の「お客さまが喜んでくれたら…」みたいなことをだいたいの人が言うんですけど、それは却下。

 

「もっと具体的なやつ頂戴!」ってニヤニヤしながら言うと、みんな「実はやってみたいことがあって…」と言ってきてくれた。少なくとも、時給がいいからとか仕事が楽そうだからって理由ではほぼ確実に来ないような仕事だから、みんな何かしらの働く理由があるんですよね。

 

で、それを全部やらせた。

 

普通じゃ絶対に社員しかやらないようなことも、やりたいって言ったら偉い人に「これこれこういうわけなんで、お願いします」ってお願いして、責任うんたらの話もして、なんとかした。

 

何が言いたいのかというと、「ペットボトルのあけ方を丁寧に教えてあげても、みんな『ええ、ああ、はい』としか思わない」んですよね。少なくとも楽しそうにはしてくれることはほとんどない。

 

でも自分がやりたいって言ったことで、それをするために他の誰かが一生懸命っぽく許可をとってくれたら、真剣にやらないわけにいかないですよね。

 

私は立場上、全員が笑顔で働いてくれる空気を作らなきゃいけなかったんですね。みんなが楽しそうで、嬉しそうで、元気な顔してくれないとダメ。でも、なかなかうまくいかなくて。

 

そんなときに思いついたやり方は、たまたま上手くいったのかみんなのやる気が上がり、空気は一変した。私はシメシメ…と思っていましたよ。

 

 

そんなかんじでやっていたら、ある一人の女の子に

 

「私は人と話していても上手く笑えなくて、人から誤解されることも多いので、接客を通じて自分を変えたいです」と言われたんですね。何をやりたいかじゃなくて、「どうなりたいか」をはじめて言われて。

 

この子、マジだな。

 

と思った。「可愛いんだから自分から笑ってれば解決するよ」なんて言えない。あまりに失礼過ぎて、自分が恥ずかしくなっちゃうから。

 

それなので、自分のために培ってきたテクニックを1から10まで教えた。マニュアルには書いてない、私の秘密の指南書。「自分を演じろ」の教えのもと、あれこれ失敗しながら得た経験のすべてを包み隠さず教えた。

 

そしたらその子は、そのすべてを実行してくれた。日に日に見違えるようにかわり、休憩中の雰囲気も劇的に変化。そんな姿を見ていて、私は嬉しく思った。

 

その子に対してはもっと色々してあげたいと思ったので、あれこれ考えた。

 

具体的なものをひとつあげるとすれば、その子が中心になる瞬間を作ってあげたいと思って、「ほおらみなさん、見てください!女子高生が一生懸命に卵焼きを焼いていますよ!女子高生の焼いた卵焼き、食べたいしょう?」と言った。えらい人がいたら怒られたかもしれないが、「恥ずかしいからやめてくださいよ~!」と笑う女の子を見て、すべての人が一瞬で笑顔になった。計算のうちとはいってもちょっと不安もあったけど、楽しそうなその子の姿に救われました。ちなみに卵焼きは4本(24切れ)売れて、「卵焼き職人みたいだね」って言ったら「嬉しいです~!」と言っていた。可愛いかよ。

 

「ほらね、一生懸命に焼いている姿を見てくれたほうが、みんな美味しそうに食べてくれるでしょ? で、それを見たら〇〇さんも嬉しいよね。その気持ちあると、もっともっと仕事が楽しくなると思うよ。」

 

「はい!すっごく楽しいです!」と言うその子の目は本当にキラキラしていた。

 

ペットボトルの水の飲み方を教えられても、たぶんやる気のある人にとってはつまらない。やる気のある人はペットボトルの水の飲み方くらい自分で覚えるから。ペットボトルの水をこうしたらもっと美味しくなるよみたいな接し方の重要性を学んだとともに、「ちょっとは意味のあることをできたかな」と嬉しくなった。

 

その後、私は異動することになり、その子は手作りのストラップをプレゼントしてくれて。「出会えてよかったです!」みたいなことを言われ、グッと来た。

 

 

私にとって、一生忘れられない思い出のひとつです。

「恋人に期待する人生」を変えたがった結果

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私は他人に期待しがちな人間であった。「ああしてほしい、こうしてほしい」とやたらと期待する。特に身近な人間に対する願望が強く、「彼女」という刺激的すぎる存在に対しては大きすぎる期待をしていた。

 

私は中学校2年生の中頃まで、まったくと言っていいほど女性にモテたことがなかった。もちろんバレンタインに良い想いをしたことはなく、「これ、あまったから食べる?」とたまにおすそわけしてもらえるだけ。まさに恋愛乞食である。

 

しかし中学2年生になった頃に自分で髪の毛を切り始めたことが転機になり、急にモテ始めたのだ。いきなりそんなことになっても困る。女子という存在は私にとって刺激的すぎるからだ。まともに喋ることすらできないのに、高校卒業までの約5年間で数十人の女子と交際した。そんな状態で恋愛がまともに長続きするはずもなく、付き合って別れてを繰り返した結果である。

 

 

そして。

 

高校を卒業したときに、何かを変えなければならないと思った。

 

 

私は「身近な存在に期待をしすぎていること」を問題視した。残念に思う気持ちはどうしても態度に出てしまい、それによって恋愛が上手くいかなくなっていると感じていたからである。そして、

 

「すべての物事を『そういうものだからしょうがない』と思うようにすること」を実行した。

 

なぜそう思ったのかというと、当時読んでいた村上春樹さんの「ノルウェイの森」や「青春三部作」などに出てくる主人公が「誰にも何にも期待をしない人間」のように思えて、口癖のように「そういうものだからしょうがない」と言っていたからである。

 

それ以来、恋愛が変わった。交際期間が半年、1年、そして3年と延びていったのだ。自分から女子に対して期待をすることはなく、女子が「ああしてほしい、こうしてほしい」と言えばそれに沿うように動く。女子にとってはその「都合の良さ」が良かったのだろう。

 

そういう日々を過ごしていると、だんだんと「相手に喜んでほしい」という気持ち芽生えてくる。自分が喜ぶことがすべてだったところから、相手が喜ぶことがすべてになったのだ。しかしそれと同時に、「自分はどうなってもいい」と自分をないがしろにするようにもなった。

 

恋愛はたいていの場合、いつかは終わる。その別れのときに、私は落ち込んだことがない。私は他の男に彼女を寝取られたこともあれば、一方的に罵倒されてフラれたことだってある。それでも私の心は微動だにしなかった。

 

「そういうものだからしょうがない」

 

と、完全に割り切ってしまえたのだ。訓練されていると、人の心は強くなる。それが良いことなのかは別として、ちょっとやそっとのことでは動じない。しかしおそらくその弊害として、

 

「本当に私のこと好き・・・?」

 

とフラれるときに言われる。「好きだったよ」と言っても、間髪入れずに「ウソ!」と言われる。そして、「私に興味なかった」と言われる。そんなことないと思うのに。「特別な存在」を「特別扱い」することだけでは、なかなか気持ちをわかってもらえない。まあ、

 

「そういうものだからしょうがない」のだが。

 

 

人は「他人に期待をすること」のほうが多いと、他人のことを見なくなっていくのかもしれない。自分の気持ちが思考を支配するからだろう。私もそうだった。人の気持ちがわからなかったし、人の気持ちに応えようと思うこともほとんどなかった。

 

しかし、他人を喜ばせようとすると、他人のことを注意深く見るようになる。どうすれば喜ぶのか、どうしてほしいと思っているのかを知らなければ、相手が喜ぶ行動を取れないからだ。

 

そして私は人間観察を無意識のうちにするようになった。相手の反応を見ながら相手の性格を探り、相手が喜びそうな言動や行動を取る。必要とあらば相手に合わせ、自分の気持ちを行動に反映することはほとんどない。

 

それにより、私は人の心を読むことができるようになった。時には女子に「エスパー」と言われ、「そういうところ素敵!」みたいな目で見られることもあった。

 

でも、最後には「私に興味ないでしょ」になるのだ。

 

人の心を知ることは、人のためになる部分もある。しかし、言葉や行動に自分の気持ちが入っていないと、相手の心には何も残らない。

 

それを知ったときから、私は人の心を意識するようになった。「そういうものだからしょうがない」と流し続ける日々には心が伴っておらず、それでは意味がないと感じたからだ。お互いの心に何も残らなければ、セフレとかわらない。

 

 

そして、「恋人に期待する人生」を変えたがった結果。

 

私は人の心がほしいと思った。相手の気持ち以上の気持ちを持ちたいと思った。いつでも相手に笑っていてほしいと思った。相手がつらいなら一緒になって気持ちを共有したいと思った。何があっても受け止めたいと思った。

 

これらは多くの人が当たり前のように思っていることだと思う。でも私は人より遠回りをしなければ気付くことができなかった。しかし、それによって得られたものもある。そのうちで最も得られてよかったのは、

 

「好き」という言葉にウソがなくなったことだと思っている。

 

 

 

俺たちは「ホロ勃ち」と戦っている

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勘違いしてはいないだろうか。

 

「すごい硬くなってるよ♪」という状態だけが勃起ではない。

 

むしろ、すごく大きくなってすごく硬くなっているのは全体の2割程度で、俺たちの勃起の8割はちょっとだけ大きくなってほんのり硬くなる程度のホロ勃ちなのである。

 

さらに言うと、ホロ勃ち中は心身ともに苦しい。腹痛を感じはじめては吐き気がして、下着が冷たく感じることもある。その上で「落ち着け俺!」と思いながら自分自身と葛藤しなければならない。俺たちは難しい戦いを強いられているのだ。

 

 

その苦痛から逃れる手はある。出してしまえばいいのだ。基本的に俺たちは出せば鎮まる。しかし出せる状況はほとんどない。たいていは公然に位置しているときにホロ勃ちが始まるからだ。出すわけにはいかない。

 

ホロ勃ちが起こりやすいスポットはいくつかあるが、特にヤバいのは水族館である。あそこには水があり、時には生物の理を目撃し、たいていの女子は“めっちゃ可愛い動き”をしてくれるからだ。「可愛い~」と言いながらキラキラした目でペンギンを見る。「すご~い!」と言いながらキラキラした目でイルカを見る。そしてそこには水がある。勃ち処しかない。

 

水を見ていてドキドキするのも私だけの個人的な主観ではなく、そういう同志は多い。女子の濡れている髪の毛を見て興奮する男子が多いだろう。それと同じである。だから俺たちは雨が降ると胸騒ぎがするのだ。押し寄せるホロ勃ちの不安でぐにゃっとした顔をする。「そこのホテルで雨宿りしない?」というセリフはホロ勃ちの苦しみに限界を感じた男の叫びなのである。

 

 

私の経験について軽く話したい。私は女性経験についてはそれほど多いほうではないが、イレギュラーな状況で一方的で強引な誘いを受けることの多い少年(青年?)だった。一例を挙げるとすれば、初めて会う女子が急に対面座位の体勢で乗っかってきて、「一戦交えましょう」という意味の言葉を伝えてきたことがある。私は人と肌を合わせることが苦手なのと、まったく気分が乗らなかったのとで拒んだが、

 

物理的な刺激によってホロ勃ちは始まるのである。

 

気持ちが向いていないのに、勝手に勃つのだ。最悪にもほどがある。お腹痛いし、気持ち悪い。その上、気持ちの面でもただドン引きしているだけ。にもかかわらず、だんだんと拒み続けているのが面倒になってくる。つらすぎるからである。

 

 

また一方で、そんなに嫌ではないけど行くわけにもいかないこともある。たとえば、飲み会などで酔った女子が腕とか脚を撫でてくるとき、なんとなく相談する空気になって気持ちを打ち明けたら「よしよし」とか言って頭を撫でてくるとき、「帰りたくない~」とか言っておねだりしてくるときなどである。

 

「お前、魔性か?」

 

と心の中では思うが、けっして口から出すことはない。心から拒んでいるわけではないからホロ勃ちのノリも良いので「別にいいかな」とも思うが、理性を働かせて必死に拒む。帰り際に「なんか違う」などと思って後悔することになるのが目に見えているからだ。気持ちが入っていない分だけ、そのしわ寄せは大きくなる。経験上。

 

 

さてさて。

 

冒頭がだいぶ長くなってしまったが、ここからが主題である。

 

俺たちのホロ勃ちの苦しみをわかってもらいたいのではない。苦しんでいる俺たちをニヤニヤしながら楽しんでもらいたいのだ。

 

女子本人に自覚がなくても、俺たちは勝手に誘惑されている。彼氏彼女の関係になかったとしても、それまではまったく興味のない相手だったとしても、ちょっとしたきっかけでホロ勃ちが始まり、苦痛に顔を歪めている男たちはごまんといるだろう。

 

その顔を見てニヤニヤしてほしい。

 

俺たちは「ちょっとでも性的に意識できる女子」に触れられれば確実にホロ勃ちする。そして色々な妄想を繰り広げる。「おいお前、狙いはなんだ!?」と勘ぐり、「特に深い意味はないだろう」と反復する。しかし「もしかして……」という期待もあるからホロ勃ちは鎮まらず、苦しみ続ける。

 

そんなとき、俺たちの顔は歪む。

 

また他のサインが出ることもある。ズボンを上げたり下げたりして位置を調節したり、「痛てててて」と言いながらお腹を押さえてたりさすったりしていたり、(押しつぶしそうになって焦るから)脚を組むのをやめたり、 (睾丸の位置が上がって吐き気がするから) 軽くぴょんぴょん跳ねたりなどである。

 

俺たちの挙動を注意深く見ていれば、簡単に見抜けるはずだ。

 

それを見て、「あ、こいつホロ勃ちしてるな」とニヤニヤしながら見てあげてほしい。

 

それがあれば、きっと俺たちは報われるからである。