だらしがないす

スリハー・スリハー!

「恋人に期待する人生」を変えたがった結果

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私は他人に期待しがちな人間であった。「ああしてほしい、こうしてほしい」とやたらと期待する。特に身近な人間に対する願望が強く、「彼女」という刺激的すぎる存在に対しては大きすぎる期待をしていた。

 

私は中学校2年生の中頃まで、まったくと言っていいほど女性にモテたことがなかった。もちろんバレンタインに良い想いをしたことはなく、「これ、あまったから食べる?」とたまにおすそわけしてもらえるだけ。まさに恋愛乞食である。

 

しかし中学2年生になった頃に自分で髪の毛を切り始めたことが転機になり、急にモテ始めたのだ。いきなりそんなことになっても困る。女子という存在は私にとって刺激的すぎるからだ。まともに喋ることすらできないのに、高校卒業までの約5年間で数十人の女子と交際した。そんな状態で恋愛がまともに長続きするはずもなく、付き合って別れてを繰り返した結果である。

 

 

そして。

 

高校を卒業したときに、何かを変えなければならないと思った。

 

 

私は「身近な存在に期待をしすぎていること」を問題視した。残念に思う気持ちはどうしても態度に出てしまい、それによって恋愛が上手くいかなくなっていると感じていたからである。そして、

 

「すべての物事を『そういうものだからしょうがない』と思うようにすること」を実行した。

 

なぜそう思ったのかというと、当時読んでいた村上春樹さんの「ノルウェイの森」や「青春三部作」などに出てくる主人公が「誰にも何にも期待をしない人間」のように思えて、口癖のように「そういうものだからしょうがない」と言っていたからである。

 

それ以来、恋愛が変わった。交際期間が半年、1年、そして3年と延びていったのだ。自分から女子に対して期待をすることはなく、女子が「ああしてほしい、こうしてほしい」と言えばそれに沿うように動く。女子にとってはその「都合の良さ」が良かったのだろう。

 

そういう日々を過ごしていると、だんだんと「相手に喜んでほしい」という気持ち芽生えてくる。自分が喜ぶことがすべてだったところから、相手が喜ぶことがすべてになったのだ。しかしそれと同時に、「自分はどうなってもいい」と自分をないがしろにするようにもなった。

 

恋愛はたいていの場合、いつかは終わる。その別れのときに、私は落ち込んだことがない。私は他の男に彼女を寝取られたこともあれば、一方的に罵倒されてフラれたことだってある。それでも私の心は微動だにしなかった。

 

「そういうものだからしょうがない」

 

と、完全に割り切ってしまえたのだ。訓練されていると、人の心は強くなる。それが良いことなのかは別として、ちょっとやそっとのことでは動じない。しかしおそらくその弊害として、

 

「本当に私のこと好き・・・?」

 

とフラれるときに言われる。「好きだったよ」と言っても、間髪入れずに「ウソ!」と言われる。そして、「私に興味なかった」と言われる。そんなことないと思うのに。「特別な存在」を「特別扱い」することだけでは、なかなか気持ちをわかってもらえない。まあ、

 

「そういうものだからしょうがない」のだが。

 

 

人は「他人に期待をすること」のほうが多いと、他人のことを見なくなっていくのかもしれない。自分の気持ちが思考を支配するからだろう。私もそうだった。人の気持ちがわからなかったし、人の気持ちに応えようと思うこともほとんどなかった。

 

しかし、他人を喜ばせようとすると、他人のことを注意深く見るようになる。どうすれば喜ぶのか、どうしてほしいと思っているのかを知らなければ、相手が喜ぶ行動を取れないからだ。

 

そして私は人間観察を無意識のうちにするようになった。相手の反応を見ながら相手の性格を探り、相手が喜びそうな言動や行動を取る。必要とあらば相手に合わせ、自分の気持ちを行動に反映することはほとんどない。

 

それにより、私は人の心を読むことができるようになった。時には女子に「エスパー」と言われ、「そういうところ素敵!」みたいな目で見られることもあった。

 

でも、最後には「私に興味ないでしょ」になるのだ。

 

人の心を知ることは、人のためになる部分もある。しかし、言葉や行動に自分の気持ちが入っていないと、相手の心には何も残らない。

 

それを知ったときから、私は人の心を意識するようになった。「そういうものだからしょうがない」と流し続ける日々には心が伴っておらず、それでは意味がないと感じたからだ。お互いの心に何も残らなければ、セフレとかわらない。

 

 

そして、「恋人に期待する人生」を変えたがった結果。

 

私は人の心がほしいと思った。相手の気持ち以上の気持ちを持ちたいと思った。いつでも相手に笑っていてほしいと思った。相手がつらいなら一緒になって気持ちを共有したいと思った。何があっても受け止めたいと思った。

 

これらは多くの人が当たり前のように思っていることだと思う。でも私は人より遠回りをしなければ気付くことができなかった。しかし、それによって得られたものもある。そのうちで最も得られてよかったのは、

 

「好き」という言葉にウソがなくなったことだと思っている。

 

 

 

俺たちは「ホロ勃ち」と戦っている

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勘違いしてはいないだろうか。

 

「すごい硬くなってるよ♪」という状態だけが勃起ではない。

 

むしろ、すごく大きくなってすごく硬くなっているのは全体の2割程度で、俺たちの勃起の8割はちょっとだけ大きくなってほんのり硬くなる程度のホロ勃ちなのである。

 

さらに言うと、ホロ勃ち中は心身ともに苦しい。腹痛を感じはじめては吐き気がして、下着が冷たく感じることもある。その上で「落ち着け俺!」と思いながら自分自身と葛藤しなければならない。俺たちは難しい戦いを強いられているのだ。

 

 

その苦痛から逃れる手はある。出してしまえばいいのだ。基本的に俺たちは出せば鎮まる。しかし出せる状況はほとんどない。たいていは公然に位置しているときにホロ勃ちが始まるからだ。出すわけにはいかない。

 

ホロ勃ちが起こりやすいスポットはいくつかあるが、特にヤバいのは水族館である。あそこには水があり、時には生物の理を目撃し、たいていの女子は“めっちゃ可愛い動き”をしてくれるからだ。「可愛い~」と言いながらキラキラした目でペンギンを見る。「すご~い!」と言いながらキラキラした目でイルカを見る。そしてそこには水がある。勃ち処しかない。

 

水を見ていてドキドキするのも私だけの個人的な主観ではなく、そういう同志は多い。女子の濡れている髪の毛を見て興奮する男子が多いだろう。それと同じである。だから俺たちは雨が降ると胸騒ぎがするのだ。押し寄せるホロ勃ちの不安でぐにゃっとした顔をする。「そこのホテルで雨宿りしない?」というセリフはホロ勃ちの苦しみに限界を感じた男の叫びなのである。

 

 

私の経験について軽く話したい。私は女性経験についてはそれほど多いほうではないが、イレギュラーな状況で一方的で強引な誘いを受けることの多い少年(青年?)だった。一例を挙げるとすれば、初めて会う女子が急に対面座位の体勢で乗っかってきて、「一戦交えましょう」という意味の言葉を伝えてきたことがある。私は人と肌を合わせることが苦手なのと、まったく気分が乗らなかったのとで拒んだが、

 

物理的な刺激によってホロ勃ちは始まるのである。

 

気持ちが向いていないのに、勝手に勃つのだ。最悪にもほどがある。お腹痛いし、気持ち悪い。その上、気持ちの面でもただドン引きしているだけ。にもかかわらず、だんだんと拒み続けているのが面倒になってくる。つらすぎるからである。

 

 

また一方で、そんなに嫌ではないけど行くわけにもいかないこともある。たとえば、飲み会などで酔った女子が腕とか脚を撫でてくるとき、なんとなく相談する空気になって気持ちを打ち明けたら「よしよし」とか言って頭を撫でてくるとき、「帰りたくない~」とか言っておねだりしてくるときなどである。

 

「お前、魔性か?」

 

と心の中では思うが、けっして口から出すことはない。心から拒んでいるわけではないからホロ勃ちのノリも良いので「別にいいかな」とも思うが、理性を働かせて必死に拒む。帰り際に「なんか違う」などと思って後悔することになるのが目に見えているからだ。気持ちが入っていない分だけ、そのしわ寄せは大きくなる。経験上。

 

 

さてさて。

 

冒頭がだいぶ長くなってしまったが、ここからが主題である。

 

俺たちのホロ勃ちの苦しみをわかってもらいたいのではない。苦しんでいる俺たちをニヤニヤしながら楽しんでもらいたいのだ。

 

女子本人に自覚がなくても、俺たちは勝手に誘惑されている。彼氏彼女の関係になかったとしても、それまではまったく興味のない相手だったとしても、ちょっとしたきっかけでホロ勃ちが始まり、苦痛に顔を歪めている男たちはごまんといるだろう。

 

その顔を見てニヤニヤしてほしい。

 

俺たちは「ちょっとでも性的に意識できる女子」に触れられれば確実にホロ勃ちする。そして色々な妄想を繰り広げる。「おいお前、狙いはなんだ!?」と勘ぐり、「特に深い意味はないだろう」と反復する。しかし「もしかして……」という期待もあるからホロ勃ちは鎮まらず、苦しみ続ける。

 

そんなとき、俺たちの顔は歪む。

 

また他のサインが出ることもある。ズボンを上げたり下げたりして位置を調節したり、「痛てててて」と言いながらお腹を押さえてたりさすったりしていたり、(押しつぶしそうになって焦るから)脚を組むのをやめたり、 (睾丸の位置が上がって吐き気がするから) 軽くぴょんぴょん跳ねたりなどである。

 

俺たちの挙動を注意深く見ていれば、簡単に見抜けるはずだ。

 

それを見て、「あ、こいつホロ勃ちしてるな」とニヤニヤしながら見てあげてほしい。

 

それがあれば、きっと俺たちは報われるからである。

 

面白いと思うのは自分自身。誰かじゃない。(ピアニストさん/ともしどメモ)

今日はピアニストさんと千葉遠征に行ってきた。主に楽しむための1日だったが、要所にためになる話があり、自分が見るためのメモとして書き残しておきたい。

 

 

【モノづくりについて】

 

「俺は計算でモノづくりをしたことは一度もないんだよね。曲を作るときはもちろん、プロモーション活動としてやっていることとかもそう。こうすれば受け手が『こう思ってくれる』とは考えない。ともしど君とは真逆だよね。俺の場合は、自分が客観的に見た時にかっこよかったり、面白いものを作ろう、やろうとするかな。それが自分らしくモノづくりをするってことだと思うよ。ともしど君は、受け手のことばかり考えてきて、今『自分を言葉にする』ってところまで来たんだよね。それを教えてくれた人は、君のことをちゃんと考えてくれたんだろうね。もちろん、それまでの自分もともしど君らしいってことなのかもしれないけど、それで満足できていないんだったら、こういう方法もあると思ってくれたら。次のステップはそこなんじゃないかな。怖がったり不安に思うことはないよ。じたばたしちゃダメ。自分にどうかを考え続けていたら、必ず後からついてくるから。」

 

――とてもハッとした。私は何をするにしても「自分は好き」、「自分にとって面白い」というのを考えたことがない。仮想の誰かを頭の中で作って、その人ならどう思うのかばかり考えていたと思う。そこでひとつの壁にぶつかって、どうしていいかわからずに、もっともっと「誰か」のことを考えていた。

 

手段については、状況に応じてかえる必要はあると思う。それがあるから、ピアニストさんはいろいろな手段を今年から新たに実行してくれているのだろう。でも、「何をするか」、「何を作るか」については、まったくブレない。変わらずに、自分にとって面白いものをひたむきに作ろうとしている。その考え方は私にはなかった。

 

これまでに良いと思ったもの、好きだと思ったもの、面白いと思ったものはたくさんある。けれども、それをちゃんと振り返ってみたことは一度もないかもしれない。

 

 

私にとっては、とても納得のいく言葉でした。ありがとうございます。

 

 

ピアニストさんの2ndアルバムはコチラで視聴できます。

soundcloud.com

私は初めて聴いたときに感動し、即購入しました。オススメの曲は「Like a wind」、「Love Song」、「Father's Dream」、「Watch out!」。ライクアウィンドとファザーズドリームは上記のリンク先で視聴できます。

 

ただいまライクアウィンドのMVを制作していますので、完成しましたら視聴していただけますと幸いです。